4 12月

「的外れな人生に乾杯」

私は、神学生時代(37歳~44歳)に、古典中の古典の書を原語で読むためのギリシャ語の授業をうけた。
私がギリシャ語を学んで一番興味を持った言葉がある。それは、「ハマルティア」という単語である。翻訳が「罪=原罪」となっていたので、「罪にハマルなハマルティア」と覚えた。元々は「的外れ」という意味であると言われている。
文法的に単数と複数で意味が違うといろいろいわれるが、何故、一番興味を持ったのかという話に戻るが、それは、まさに人間の本質、つまり、標的の中心を射ぬいている単語と受けとめたからである。
完璧主義者には、申し訳ないが、何故か、息苦しく生きていた私の心に新鮮な息を吹き込むメッセージとなる単語との出会いであった。
「的外れ」の人生を歩んできたのが私のありのままである。それ故に、私の「的外れ」な心が軽くなり、救われたと感じられた。私の人生、それ以上でもない。それ以下でもない。